高校から今まで キャリア教育に関して思うきっかけ

自分が高校のとき
本気で将来の夢を考えたとき


浮かんできたのは、「アナウンサー」か「学校の先生」だった。
「一生勉強できる、成長できる仕事がしたい」と思ったのを覚えている。

先生になるには教育学部に入らなくてはならない。
でも、アナウンサーのほうがなかなかなれなさそうで面白いし夢がある。

 ♪夢を追いかけるなら、たやすく泣いちゃだめさ♪

渡辺美里のMyRevolution(小室さん作詞作曲なのよね)に酔いながら、アナウンサーになれるかな?と思い始めた。

というのも
小さいころから母に聞かされていたわたしの命名のワケ。

「あんたの名前は当時のNHKの女性アナウンサーの名前をもらったのよ。
ただの美人じゃなくて“知性美”のあるきれいな人になってもらいたい」と。

ふ~ん、知性美かぁ?
今ならわかる、「人の性格や仕事ぶりは顔に出る」ということ。
男は履歴書女は領収書なんて言うけどね(笑)

アナウンサーになるにはどうしたらいいか、高校三年なりに調べたり、聞いたりして
地元静岡の放送局に入りたいと先生に話したら「地元の静岡大学が有利だよ」と言われた。
他に情報は本で調べるしかなく、「アナウンサーになるには」みたいな本で見たら
4大、しかも英語がしゃべれるところは有利みたいに書かれていた。
女子アナなら上智とか慶応、立教、早稲田。もっとすごいなら国際基督教大学とか・・?

う~む。そんな学力はない。(なぜ学力や英語が必要かを良く理解すればよかったよね。そこに気づけなかった)

で、高校3年当時の私は、学校の先生=教育学部も狙いながら勉強もろくにせず、
東京のアナウンス専門学校にダブルスクールで通うことを決めて、最終的には「東京の短大」に的を絞った。

もともとミーハーだから東京に行きたかったのと
4大に受かるには努力が足りなかったのを、4年も大学に行っていたら親が定年退職するからお金がないじゃん
という体の良い言い訳をして、ラクな道へ逃げたのだ。あとはホント、早く社会に出たかった。

でも、父に怒られたのを覚えている。
学歴社会を痛感していたことと、私がラクな道に逃げたのをわかったんだろうな。

恵比寿の東京アナウンスアカデミーへ通いながら短大に通わせてもらった2年間。
2年生にはもう就職活動が始まるので、全国の短大でも受けられるアナウンサー試験を受けて回った。

4大しか受け付けていない局もたくさんあった。
少し後悔したけど、逆に全部は受けられないから良かったかなとまたまた言い訳。
そして、受けに行くのもお金がかかる。交通費はもちろん、二次審査へ残ると宿泊代も。
ほとんどが書類や一時面接で落ちたけど、最終まで残った地方局もあったのだ。
あれ?私いけるかも?とほんの少し勘違いした。でも、その勘違いに邁進すればよかったものを、このまま受け続けていたらお金がなくなる、親に迷惑がかかるとまたまた言い訳して、途中でリタイアした。

新卒での全国10局くらいのアナウンサー試験に落ちて、慌てて受けたのが地元静岡が本社の広告印刷会社の東京支店。
人前で話すことにも面接にも慣れていたので、役員面接でも笑いが起きて内定決定。

広告印刷会社の中でも制作デスクを担当させてもらい、営業と制作を結びお金の管理とクリエイターの管理をした。
撮影では、ADやスタイリスト、時にはモデルになって奔走した。
忙し過ぎてパニックになってトイレで泣いたり、人と折衝するのにうまくいかず泣いたりして成長させてもらった。

上司も同僚も外注さんも良い人ばかりで仕事は楽しかったけれど、
2年経ったとき、同じ年齢の4大の子たちが就職活動をしているとき、やっぱりアナウンサーへの夢をあきらめられなくて
お世話になった会社を辞めた。なんとかしゃべる仕事、テレビの仕事をしたいという一心で。

早朝の羽田空港のバイトと、歯科助手のバイトを掛け持ちしたり
派遣社員として展示会の会社で広報宣伝課で働いたり
ナレーターコンパニオンや友人の結婚式の司会をしたりして
それでは違うとどうにかテレビの世界へ、と思ってADをしていた時もあった。

そこで厳しい中でも、実に様々な仕事があることを知り、
みんなプライドを持って働いている姿を見ることが出来た。

一言にテレビの仕事といっても「テレビ局」に入るしかないかと思っている人は多いと思います。

表面に見えるのは、出演者で、思いつくのはカメラマン、プロデューサーにディレクター、大道具小道具・・・それくらい?
その世界に入るまでは、私もプロデューサーとディレクターの違いも分からなかったし。

他にも、
アクリル装飾、タイムキーパー、ヘアメイクさん、スタイリストさん、美術さん、アニメーターさんなどなど色々な仕事がある。
それって大人にならないと、あとはその業界に知り合いでもいないとわからない。

まして、子供たちは想像できない。

子どもたちの憧れでもあるゲームの仕事だって
ストーリーやキャラクターを考える人、描く人、プログラミングする人、宣伝する人・・・
いろいろいて、初めて成り立つ仕事。そこには得手不得手で担当がやりがいを持って働いている人がいる。

それって子供の頃の「理科が好き」とか「国語が好き」「図工が好き」から始まってる。
子供の頃の思いが大人につながっているのだ。

プロと触れ合う授業を提案している、NPO法人企業教育研究会(ACE)
そういうことを伝える活動をしている。

ゲームでつながる授業と仕事

もう~まさしくこんなことがやりたい!!
自分の経験から、出来る限りのネットワークと大人たちの協力を得て。

知らなきゃ憧れられないし、そのキッカケさえあれば夢を描ける子供たちが増えるんじゃないか?
何のために勉強するのかわからない、そんな子供たちが減るんじゃないか?

心からそう思います。
そのための活動を、人生をかけてやりたいと思っています。






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